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2006年6月27日 (火)

対等

今日の授業の学内実習では、利用者さんと大きな病院の
やり取りのプリントが渡され、感想文を書きました。

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このプリントの最後の方に
「看てやってる。」との医療側の傲慢さと
「看てもらってる。」との消費者側。
そこに「対等」とはほど遠い存在としてある。
と書いてありました。

私も大きな病院に何度か行った事はありますが、
明日○時に来てくださいといわれても、平気で1時間とか
待たされたりしますし、大きな病院の外来の人数って
すごいいますしね。

これを書かれた方は、その大きな病院に辿り着くまで
様々な事があって辿り着いたかもしれないけど、
大きな病院の外来で一人一人の気持ちを考える事なんて
もし自分が大きな病院に勤務していたとして出来るだろうかと
感じてしまいました。

今は日々の授業から、見えない背景を感じ取らないと
いけないとか想っていますが、そんな大きな病院の場合
常に見えない背景や利用者さんの気持ちを考えれるのだろうか
むしろ私もその状況になったら業務をこなす事だけに
必死になり、見えない背景を見ようとする努力や
気持ちを考えようとする努力を怠るのではないかと
そうはなりたくなくても現場にいたら想ってしまうのでは
ないかと想いました・・・。

利用者さんと医療側が「対等」でならないと
いけないとは想いますが、悲しいけど
理想でしかないのかなと感じました。

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